寺族研修(中島隆信先生「現代のお寺が抱える問題と今後の生き残り策

広陵東組の寺族研修が2週間後になりました。

と き:平成18年8月24日(木)午後2時〜
ところ:広島別院大会議室〒730-0801広島市中区寺町1-19

慶応義塾大学教授中島隆信先生に「現代のお寺が抱える問題と今後の生き残り策について」という演題でお話していただきます。



参加者には、以下の資料を配布いたしました。

中島隆信著「お寺の経済学」(東洋経済新報社、2005年)より抜粋。
「大衆を結束させないための最も有効で効率的な方法は、日本人から信仰心を取り去ってしまうことだ。檀家制度はまさにその役割を果たしたといえる。
 檀家制度によって住民は檀家として近隣のお寺に縛り付けられた。
……(中略)……
お寺(宗門)サイドにとって、檀家制度は常に安定した顧客を保証してくれる。現状維持を確約されれば、どのような事業者であっても進取の精神を失っていくだろう。
 こうした状況が約二六〇年も続いたのである。しばしば日本人に宗教心がないといわれる原因はここにある。お寺を弾圧するのではなく、飴を与えて骨抜きにする。保護政策というものがいかに産業を駄目にするかの典型例といえる。」(39頁)

「 檀家制度によって信者が確保されたので、住職の仕事としては仏教の教義を信者に伝えるというよりも檀家からの布施収入を増やすことの方が重要になった。そのため、お寺はいかにして檀家を呼び寄せるかに腐心することになる。
 その一つは、仏教行事の儀式化だ。……(中略)……もう一つは、日本に古くからある先祖崇拝の儒教思想を利用し、ご先祖様の追善供養を定期化・恒例化することだ。四九日、一周忌、三回忌、等々、一人の死者に対し、数度にわたって法事が執り行われることになる。」(40頁)


「住職も同じコミュニティの住民が檀家になってくれれば、固定客を獲得することになるわけで収入の安定化につながる。特に境内に墓を所有する檀家の場合、墓が担保された寺檀関係として両者のつながりはより強固なものになるだろう。
このように檀家制度という長期契約は、寺檀間の取引を信頼関係によって安定化させる。問題は安定によって緊張関係が失われることだ。檀家は毎年同じことをただ繰り返すだけの宗教儀式を続けているうちに、仏教信者としての本分を忘れ、仏教の教えに対する興味を失っていくだろう。一方、お寺の住職は地域の葬儀・法事担当業者となってしまい、布教活動という本来業務を疎かにするかもしれない。
それでも地域コミュニティが堅固なうちは、お寺と檀家相互のコスト節約のため、檀家制度は機能し続けるだろう。」(50頁)

「近代化とともに職業が細分化、専門化され、僧侶の仕事は次々と専門職にとって代わられていった。
これまで僧侶が得意としてきた葬祭部門についても葬儀社の攻勢が強く、僧侶の仕事は次第に隅に追いやられてきている。そしてついに、僧侶の資格を持たずマンションの一室のみで営業する「マンション僧」が登場してきたという。葬儀社と手を組み、格安の料金で読経サービスを行うそうだ。需要があるところには常に新しいサービスが生まれる。内容は異なるにせよ、かつての私度僧のようなものといえる。」(98頁)

「お寺は一周忌や三回忌など先祖の追善供養も行って、収入を増やす工夫をする。死者の魂が安らかであることを祈るのが追善供養の趣旨である。これは元々仏教ではなく儒教の思想によって生まれた風習である。江戸時代の僧侶はこうした異教の考え方を仏教に取り込み、法事として定着させたのだ。
こうしてお寺は葬儀と結びついていった。人間は必ずいつかは死ぬ。お寺が葬儀を担当することは絶対になくならない仕事を手に入れたということを意味するのである。」(159頁)

「 お寺の再生を図る道は一つしかない。それは墓をお寺から切り離し、檀家制度を一度完全に解消することだ。現在のままでは信者はお寺を選べない。一旦、あるお寺の檀家になってしまうとそこから離脱するには多大なコストを要するのだ。
まずは信者に選択の自由を与えるべきである。そして本当にお寺に来たいと思う信者だけを改めて集めなおせばよい。そのとき、住職の真価が問われることになる。宗派の教えをわかりやすく説き、信者の心を引き付けることのできる僧侶が支持されるだろう。住職は別に世襲でも構わないが、後継者をしっかり育てておかないと、住職の世代交代と同時にお寺離れが起きる可能性もある。」(220頁)

修験道と浄土真宗

 梁塵秘抄に、「聖の住所はどこどこぞ、箕面よ、勝尾よ、播磨なる書写の山、出雲の鰐淵、日の御碕、南は熊野の那智とかや」という歌があります。"「聖の住所はどこどこぞ」の旅"を企画したいと思います。浄土念仏信仰は勝尾寺の証如(あるいは勝如)から始まるといいますが、証如に教信が教えたといいます。教信寺には、法山総貫さんが寺族部長時代に企画し訪問しています。お念仏のふる里を訪れて、雰囲気を確認したいと思います。武田は、すでにいろいろ訪問していますが、改めて系統立てて源流を確認したい。
なお、先にふれた光格天皇は興味深い天皇で、新嘗祭大嘗祭を復活し、聖護院を仮御所とし、天台系の修験道と関わりがありました。修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)が滝安寺で受法・入滅したと伝えられているので、光格天皇は、御所の門を滝安寺の山門に下賜したそうです。

箕面(みのお)の滝安寺(りゅうあんじ)、応頂山勝尾寺(おうちょうざん かつおうじ)、書写山圓教寺(姫路駅からロープウェイの駅まで市バスで20分。ロープウェイで4分。)、島根の浮浪山鰐淵寺(がくえんじ)、日の御碕、熊野那智大社

注)教信は、親鸞が尊崇したと伝えられている。


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儀礼、荘厳雑感

創価学会   (荘厳ついて―真宗との対比)
日蓮宗」「宗教と政治」「宗教と国家権力」というテーマで、東京信濃町創価学会本部を訪問しました。「創価学会本部を訪問して雰囲気を実感し、貴会の人材に親しく接し、創価学会の将来を分析し、浄土真宗の将来を切り開くのが目的です。」と文書で、訪問の趣旨を伝えました。訪問では、広報室長・総主事・館長など本部の最高クラスの幹部に直接案内していただき、意見交換もいたしました。打解けた雰囲気でしたが、我々の訪問は、よほど警戒されていたのでしょうか。しかし、質問に対応できるメンバーで迎えてもらい、かつフランクに答えてもらえ、意義ある話合いとなりました。
 次に、儀礼に関する見聞と感想を報告します。「創価国際友好会館」大ホールのステージ上にある礼拝施設を近くで拝見させていただきました。正面の机にある横長の長方形の香炉は、防災上の理由で火は使用されていないとのことでした。本尊は日蓮宗系特有の長く伸ばした文字のお題目でした。厨子は電動で扉が開きました。両脇には、丸いやや縦長の卵形の樒(しきみ)の青物のお供えがありました。横の一番膨らんだ所の直径で60〜70センチ位です。翌日訪問した大石寺の荘厳と同じでした。植物のお供えは、この1対のみです。荘厳は、大石寺と喧嘩別れになった前後で全く変更を加えていないそうです。大石寺と喧嘩別れした後も、荘厳様式はまったく変更していないそうです。荘厳にたいする無関心には少なからず驚きました。
 真宗も、先鋭的で知的な人たちは、荘厳については淡白か自己の趣味の反映と理解しています。
歴史的には、装束や荘厳になかなか神経質に精力を使っています。本願寺が東西に分裂した後は、双方が独自性を出すべく衣の色も上下が東西本願寺で逆になっています。白色の色衣は、西本願寺では高位の衣ですが、東本願寺では一番下位だそうです。以前、長門義碩団長で東本願寺を訪問した折に案内いただいたご僧侶の方が話されていました。本尊脇の荘厳の生花は、高田派専修寺など本願寺以外は松を基本とし、長野善光寺のそれによく似ています。西本願寺系は華やかに色物を用います。
以前、島田裕巳さんを研修会にお招きした折の、「浄土真宗の雰囲気には、新興宗教の雰囲気がある」という発言を思い出します。私は、島田裕巳さんの指摘を、浄土真宗が生きている宗教であるという意味に解釈しました。
 創価学会の荘厳にたいする態度と浄土真宗の荘厳にたいする態度の差を分析することがテーマとして残された。
 なお、政教分離世襲創価学会キリスト教について、blog安芸ねっとwebry「創価学会本部訪問記」参照。

儀礼の一つの役割
儀礼論は、大村英昭関西学院大学教授・大阪大学名誉教授が苦闘していましたが、その形而下的意味合いも十分視野に入れなければならないことです。首都圏での有力若手僧侶の集団であるPOSTEIOS研究会のメンバーなどは、東京首都圏の西本願寺既成寺院のギルド化運動とも形容すべき新規参入阻止を主張しています。このような状況のもと、儀礼はどのような機能を果たすのでしょうか。芸能を観察するとよく理解できます。歌舞伎芸人は、代々世襲でその芸能を継承しています。そのような名門芸人は、もちろんコネも強力でしょうが、カラダにしかるべき身のこなしが元から染み付き、立居振舞いが自然そのようになっています。仏教用語でいえば、薫習(くんじゅう)です。田舎芸人は、芸を磨いても田舎芝居でしかすぎません。既成寺院、特に名門寺院になると、その子弟は儀礼を学ばなくても、そのままサマになります。儀礼の専門家は、社会のどの分野においても非常に低い身分として扱われています。(末臈発音という言葉などはこの系列の言葉です。)江戸時代末期の光格天皇(閑院宮系・明治天皇の曽祖父)や西本願寺の大谷光照前門主のように出自が傍系出身の劣等感を持つ者は、自己を武装するために儀礼に熱心になる(安芸ねっと「本願寺教団は何をすべきか」参照)のですが、そのような権力を持たない下層民は成り上がりたくても、儀礼は非常な障壁になります。儀礼は、育ちのよい者か、タレントである場合以外は、新規参入を排除する働きをします。武田は、儀礼のこの機能は、許されない差別であると考えますが、基幹運動の闘士にこのような問題意識はありません。基幹運動の闘士は、実に不思議なメンタリティの持ち主です。

免責特権が分かっていない民主党

blog安芸ねっとwebryに「免責特権が分かっていない民主党」を書き込みました。宗門のご門主の地位についてお考えください。


河村たかし民主党議員が、あちこちのテレビで永田寿康民主党議員の免責特権を主張している。

河村たかし議員は、国会議員はデタラメ発言をしても許されると考えている。彼は、免責特権を全く理解していない。

不逮捕特権や免責特権は、永田寿康民主党議員のようにデタラメをした議員を保護する制度ではない。この特権は、まっとうなことをした議員を保護する制度なのである。歴史的に議会は国王等の権力に対抗する勢力である。権力はその発現を妨げる行為をそれが正しくても嫌う。権力は、まっとうな議員を間違っているとか気違っていると難癖をつけ、刑罰を科したり精神病院に入院させ身柄を拘束してきた。そのような議会の機能低下を防止する制度が、不逮捕特権や免責特権である。国会議員の責任が徹底的に追及されるは当然である。責任を回避したければ、国会議員にならねばよい。ただ、正しいか否かは判断できない場合が多い。したがって、デタラメなものも何もすべて含めて無責任としたのである。この無責任は、主に身体的拘束を禁ずるところに想定されている。政治家の責任は、徹底的に追及されねばならない。今日、議員の責任追求は、制度的には選挙という方法に限定されている。私が「前原誠司代表を辞任させなければ、次回の総選挙で民主党が勝つことはできない 」といったのはこの文脈である。西本願寺教団(浄土真宗本願寺派)で、門主の無答責ということが利権屋僧侶によって主張されている。門主であろうが天皇であろうがローマ法王であろうがイギリス国王であろうが、権力を行使すれば必ず責任は発生する。権力行使を放棄しなければ無答責ということはありえない。
権力行使側の責任と権力抑制側の責任と法的制度としての発現のあり方の違いである。

無答責、不逮捕特権、免責特権の現代でのあり方は、随分変化してきた。権力側の無答責はいかなる場合でも認められない。議員側の不逮捕特権、免責特権もメディアの発達した時代では、権力側の議員拘束が難しくなったので様相が変わってきた。永田寿康民主党衆議院議員が即刻議員辞職をしなければならない理由である。議員辞職しなければ、民主党は総選挙で再び大敗するであろう。



日本国憲法第五十条
 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。
日本国憲法第五十一条
 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

本願寺門主は、近い将来交代する。門主は何を置き土産にされるべきか

大谷光真門主は、親鸞聖人750回忌大遠忌終了後に交代される。
門主は何を置き土産にされるべきであろうか。
玉手箱を放棄されることを置き土産にされなければならない。

玉手箱

「人権擁護法」反対の投稿をいただきました

人権保護法案  投稿者: 鈴木健一  投稿日:10月30日(日)15時21分31秒
管理人様、
人権擁護法」に反対されているようなので、書かせていただきます。

鳥取県で「人権擁護法」をさらに改悪したような「人権救済条例」という条例が、
10月12日に、誰の目にも触れず、可決されました。
人権を守るはずの弁護士会の猛反対にもかかわらず、わずか5日で半ば強行に可決されました。

その内容は条例文に後から(県外にも影響する)事が付け足されるなど常軌を逸した内容です。
また、都合の悪い部分を故意にかくしたQ&Aを作成するなど悪意があるとしか思えません。
この条例が施行されたら全国に影響があるため、事実上「人権擁護法」が施行されたも同然となります。

主な反対運動の場は、悪名高い「2ちゃんねる」ですが、彼らは必死です。
施行開始は06/06/01以前となっております、もう時間がありません。

まずはこの条例の存在を知っていただきたい、そして、多くの方に伝えていただきたい。
どうか、よろしくお願いします。

関係リンク
http://blog.livedoor.jp/no_gestapo/
http://www.powup.jp/jinken/tottori/
http://no-jinkenhou.net/
2ちゃんねるOFF板
http://off3.2ch.net/offmatrix/

鳥取県の人権救済条例(人権保護条例)・全文
http://www.pref.tottori.jp/gikai/teireikai/17-09/giinteian.htm



上記は、BBS安芸ねっとpurelandへの投稿です。(武田勝道(管理者))



お読みください。 人権擁護法は、治安維持法と同じである

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靖国神社と本願寺について……政治結社会長との対話

政治結社の会長から、靖国本願寺の抗争について本願寺と話し合いをしたいが、「無駄」と思うかとの質問を受けました。インターネットで調べると実在の団体であったので、私の考えをお伝えしました。私は真剣に返事を認めましたので、大方のご批判をいただきたいと存じます。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

                                            平成17年10月27日
政治結社 大日本清導会総本部
会長 百武次郎様
                                        浄土真宗本願寺派教西寺
                                        住職 武田勝

結論から申し上げますと、どのような思想・信条の者であれお互いに議論あるいは論争を行うことは大切であると思います。しかし、ご質問の靖国問題については、議論が噛み合わないと思います。そういう意味では、話し合いは「無駄」です。浄土真宗本願寺派の僧侶である私は日頃から本願寺の宗務員の空理空論を批判していますので、この点からはあなた様が本願寺に話し合いを申し込まれるのは有意義と存じます。

以下若干私の意見を述べます。メールをいただいたということは、私のホームページやブログをお読みいただいているからだと思いますが、私の考えは浄土真宗本願寺派西本願寺)の“公式見解”とは異なっています。小泉首相靖国神社参拝に対する抗議する宗派の“公式見解” http://www.hongwanji.or.jp/2005/info2005/20051017_info.htmは、必ずしも宗門全体に共有されてはいません。

ご承知のように、明治時代の廃仏毀釈で、権力的に神仏分離をいたしました。下世話な表現をすれば、仏教僧侶にとって国家権力と結託する平田神道の影響を受けた神道の一派である国家神道からの縁切状であり喧嘩でした。仏教僧侶である浄土真宗の僧侶が、宗教的信条の発露として靖国に参拝することはまずないと思います。靖国神社がまじめに宗教的に軍籍にあった戦没者を追悼されていれば、靖国神社の神官(官は国の役人という意味ですが、神道の宗教者の総称を知りませんので仮にこの言葉を使用します。「禰宜」は宮司・神主を含む総称と考えていいのでしょうか。僧侶に対応する言葉は何なのでしょうか)は、浄土真宗でもおこなっています戦没者(おそらく原爆被害者等も広く包含しています。少なくとも広島では原爆の犠牲者を包含しています)の追弔法要に参拝しないでしょう。これを「靖国本願寺の抗争」とは、浄土真宗の多くの僧侶は捉えていません。私を含めて浄土真宗の僧侶は、靖国神社が現在靖国にまつられている御霊を追悼されることそのものに異議を言ってはいません。現代では、宗教戦争をする浄土真宗の僧侶はいません。

本願寺の基幹運動に多くの浄土真宗の僧侶は疑問を持っていました。その支持を背景に武野以徳前総局は、基幹運動組織の改組をいたしました。上述の不二川公勝現総局の抗議は、非常に形式的であると私は考えています。

過去何千年も人類は戦いをしてきました。現在も軍隊なくして地球の民族等のグループが生存できるか。私は社会党の土井たかこ元党首を強く批判しています。北朝鮮の拉致を否定していた彼女は、北朝鮮自身が拉致行為を認めた後に、北朝鮮の拉致についてとってきた彼女および社会党の言動を明確な言葉で総括していないからです。彼女は評論家ではありません。野党第一党の党首という非常に責任のある政治家だったのです。戦国時代、日本は世界有数の鉄砲所有国でした。そのお蔭でヨーロッパの植民地になることを免れました。明治時代も富国強兵政策によってヨーロッパの植民地にならずにすみました。明治時代以降、多くの過ちもしてきましたが、私はヨーロッパの植民地あるいは奴隷になることが良かったとは思えません。現在の中国や韓国は、近代以降の日本のヨーロッパに対して独立を守った恩恵のうえにその存在が確保されました。

私は宗教と政治は不可分だと考えております。国家権力は、特定の宗派と手を組んではならない。しかし現実の宗教は、汎宗派としては存在し得ない、特定の宗派としてのみ存在します。この綱渡りを国家権力に求めたのが憲法政教分離です。本願寺でも右翼でも、単純な原理主義は威勢がよいと思いますが、道を誤ります。

私は、光と影のない本願寺基幹運動や右翼の天皇崇拝に疑問を持っております。光と影のない人間存在は危うい、民族は危ういと思います。あなた様が本願寺と話し合いをされ、双方が光と影をもった陰影のある思想を持つことになれば、日本を救うことができます。

以上、あくまで私の個人的考えを述べました。


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