儀礼、荘厳雑感

創価学会   (荘厳ついて―真宗との対比)
日蓮宗」「宗教と政治」「宗教と国家権力」というテーマで、東京信濃町創価学会本部を訪問しました。「創価学会本部を訪問して雰囲気を実感し、貴会の人材に親しく接し、創価学会の将来を分析し、浄土真宗の将来を切り開くのが目的です。」と文書で、訪問の趣旨を伝えました。訪問では、広報室長・総主事・館長など本部の最高クラスの幹部に直接案内していただき、意見交換もいたしました。打解けた雰囲気でしたが、我々の訪問は、よほど警戒されていたのでしょうか。しかし、質問に対応できるメンバーで迎えてもらい、かつフランクに答えてもらえ、意義ある話合いとなりました。
 次に、儀礼に関する見聞と感想を報告します。「創価国際友好会館」大ホールのステージ上にある礼拝施設を近くで拝見させていただきました。正面の机にある横長の長方形の香炉は、防災上の理由で火は使用されていないとのことでした。本尊は日蓮宗系特有の長く伸ばした文字のお題目でした。厨子は電動で扉が開きました。両脇には、丸いやや縦長の卵形の樒(しきみ)の青物のお供えがありました。横の一番膨らんだ所の直径で60〜70センチ位です。翌日訪問した大石寺の荘厳と同じでした。植物のお供えは、この1対のみです。荘厳は、大石寺と喧嘩別れになった前後で全く変更を加えていないそうです。大石寺と喧嘩別れした後も、荘厳様式はまったく変更していないそうです。荘厳にたいする無関心には少なからず驚きました。
 真宗も、先鋭的で知的な人たちは、荘厳については淡白か自己の趣味の反映と理解しています。
歴史的には、装束や荘厳になかなか神経質に精力を使っています。本願寺が東西に分裂した後は、双方が独自性を出すべく衣の色も上下が東西本願寺で逆になっています。白色の色衣は、西本願寺では高位の衣ですが、東本願寺では一番下位だそうです。以前、長門義碩団長で東本願寺を訪問した折に案内いただいたご僧侶の方が話されていました。本尊脇の荘厳の生花は、高田派専修寺など本願寺以外は松を基本とし、長野善光寺のそれによく似ています。西本願寺系は華やかに色物を用います。
以前、島田裕巳さんを研修会にお招きした折の、「浄土真宗の雰囲気には、新興宗教の雰囲気がある」という発言を思い出します。私は、島田裕巳さんの指摘を、浄土真宗が生きている宗教であるという意味に解釈しました。
 創価学会の荘厳にたいする態度と浄土真宗の荘厳にたいする態度の差を分析することがテーマとして残された。
 なお、政教分離世襲創価学会キリスト教について、blog安芸ねっとwebry「創価学会本部訪問記」参照。

儀礼の一つの役割
儀礼論は、大村英昭関西学院大学教授・大阪大学名誉教授が苦闘していましたが、その形而下的意味合いも十分視野に入れなければならないことです。首都圏での有力若手僧侶の集団であるPOSTEIOS研究会のメンバーなどは、東京首都圏の西本願寺既成寺院のギルド化運動とも形容すべき新規参入阻止を主張しています。このような状況のもと、儀礼はどのような機能を果たすのでしょうか。芸能を観察するとよく理解できます。歌舞伎芸人は、代々世襲でその芸能を継承しています。そのような名門芸人は、もちろんコネも強力でしょうが、カラダにしかるべき身のこなしが元から染み付き、立居振舞いが自然そのようになっています。仏教用語でいえば、薫習(くんじゅう)です。田舎芸人は、芸を磨いても田舎芝居でしかすぎません。既成寺院、特に名門寺院になると、その子弟は儀礼を学ばなくても、そのままサマになります。儀礼の専門家は、社会のどの分野においても非常に低い身分として扱われています。(末臈発音という言葉などはこの系列の言葉です。)江戸時代末期の光格天皇(閑院宮系・明治天皇の曽祖父)や西本願寺の大谷光照前門主のように出自が傍系出身の劣等感を持つ者は、自己を武装するために儀礼に熱心になる(安芸ねっと「本願寺教団は何をすべきか」参照)のですが、そのような権力を持たない下層民は成り上がりたくても、儀礼は非常な障壁になります。儀礼は、育ちのよい者か、タレントである場合以外は、新規参入を排除する働きをします。武田は、儀礼のこの機能は、許されない差別であると考えますが、基幹運動の闘士にこのような問題意識はありません。基幹運動の闘士は、実に不思議なメンタリティの持ち主です。