セクハラ(セクシャルハラスメント)

週刊新潮高山正之「変見自在」は、買ったときは必ず読んでいる。平成19年(2007年)1月18日号の「(サダム・フセインを)悼む」は、興味深かった。

「 これ(=女性を教育から遠ざけ、家に閉じ込めること)は国家の損失になる、と宗教からの脱却を求めたのがイラクのサダム・フセインだった。……(中略)……イラクも同じでイスラム聖職者、とりわけシーア派は彼(=サダム・フセイン)に対する暗殺を執拗に企て続けた。
 彼はそれを徹底的に弾圧した。今回、彼に死刑判決をもたらした「シーア派の虐殺事件」がそれだ。
 彼の鉄の意思はついに宗教界を黙らせ、イスラム圏にあってここだけが女性に教育と社会活動を保証するまともな国になった。
 国民の半分が生き返ったイラクは急速に国力を伸ばし、忘れていたアラブ民族意識も取り戻した。
 ただそれが欧米には都合が悪かった。アラブ国家は頑迷固陋な宗教に浸ったまま石油さえ供給していればいい。変に民族意識をもっては困るというわけだ。
 それでサダムは取り除かれた。」

小滝透が、アルジェリアの革命家フェラウーンの「アラブは女性の膣にその名誉を埋め込んでいる」との言葉を紹介している。

「一神教と性」「予定説」について、私と岸田秀氏とのやり取りをお読みください。

週刊新潮の同じ号に「園児がセクハラ」という記事が載っていた(58ページ)。
「米メリーランド州で、5歳の幼稚園児が園内で女の子お尻をつねった件がセクハラと認定され、その記録は中学を卒業するまで付いて回ることになった。テキサス州では女教師に抱きついた4歳の男児が通園停止処分になった。」

日本では信じがたい事件である。ここに米国ピューリタニズムの真骨頂を見る。昨今の「セクハラ」も、米国ピューリタニズムの起死回生の悪あがき(「性」で人間をキリスト教に縛り付ける)というのが正しい位置づけと私は考えている。日本社会に強姦が少なく、米国社会に強姦が多いのは合点できる。強姦とセクハラは本質的に異なる。

赤松啓介「夜這いの民俗学」等の日本の性文化についての著作は、非常に有益である。

「大阪で強姦強盗事件30件超」Sankei Web(2007/01/13 17:56)というのは、日本の文化に異質である。外国人犯罪か、日本文化に異質な日本人か。日本文化が変質したのであろうか。