「多神教からの一神教批判に応える」を検討する

以下は、浄土真宗安芸教区広陵東組基推委習俗分科会の平成16年度報告です。

 平成16年度の習俗分科会の研修は、自由についての考察を企図し分科会を開きましたが、平成16年(2004年)10月30日に同志社大学一神教学際研究センター(センター長森孝一同大神学部長)により「一神教多神教−新たな文明の対話を目指して」という公開講演会が開催されたことをインターネットで知りました。同志社大学神学部教授小原克博という方が企画したもので、中沢新一さんを招聘したものです。この結果、習俗分科会は、小原克博さんと中沢新一さんの見解を検討することになりました。
 この講演会は、COEとして指定された同志社大学一神教学際研究センターの21世紀COEプログラム一神教の学際的研究」の活動であり、この研究は、一神教サイドからの反論を権威付けようと目論むものといえます。
 したがって、小原克博さんは牧師でもあり、彼の言説はとりあえずキリスト教会側の"権威ある言説"として検討すべきであると考えました。
 中沢新一さんの立場は、小原克博寄りであり、中沢新一の高名さが、キリスト教サイドからの反論を補強することが期待されているようです。
 小原克博さんのブログ(KOHARA BLOG)の要約によると、『いわゆる「一神教」と「多神教」との対立という構図は、宗教の表層的理解のレベルでのみ機能する一種の「ねつ造された概念」の類にすぎない』(中沢新一)として、『一神教における神理解(唯一神信仰)に対置されるべきは、歴史的には「偶像崇拝」であったことを指摘する。』(小原克博)。そして、『「一神教多神教」という問題設定があまり有効でないとすれば、何が見るべき思考軸であるのかを考える。個別宗教・国家の次元で考えれば、それは穏健派(リベラル派)と急進派(原理主義者)との戦い、あるいは、多様性の容認か、一つの強固な価値か、という価値観(世界観)の争いに見ることができる。』(小原克博)と主張します。KOHARA BLOG 2004.10.30
 中沢新一さんは、『ねつ造された概念』といいますが、そもそも学問はすべて捏造された概念ではないでしょうか。知能テストで、非ヨーロッパ文化の人間の知能が低く現れるのも、文化が捏造されたものであることを物語っています。キリスト教的観念である発展段階説(マルクス主義の観念ですが)は、アニミズムシャーマニズムが程度が低くて多神教から一神教に文化が高度になったのだと主張していました。それが、ヨーロッパの学問でした。それを今更捏造だといわれても困ります。キリスト教文化の「ルール変更による勝利」テクニックは、マルクス主義が幻滅した今、もう通用しないのではないでしょうか。偶像という概念も捏造された概念ではないでしょうか。真宗は、木像の本尊を礼拝しても偶像礼拝とは考えません。キリスト教が、十字架を礼拝しても偶像崇拝といわないのと同じです。問題設定が不利になると『あまり有効』でないとするのはフェアではありません。平成16年(2004年)10月30日の研究会は成功したとは思えませんが、小原克博さんの今後の研究には期待して注目すべきと思います。

注)COEとは、Center of Excellenceの略。21世紀COEプログラムは、「大学の構造改革の方針」(平成13年6月)に基づき、平成14年度から文部科学省に新規事業として「研究拠点形成費補助金」が措置されたもので、日本の大学の格付けにつながる非常に影響のある重要な制度
注)小原克博:1965年大阪生まれ。専門は、キリスト教思想、比較宗教倫理学現代社会が直面する先端的課題に対し、フェミニズム生命倫理エコロジーなど多様な学問領域を切り口にしながら応答を試みている。近著に『神のドラマトゥルギー―自然・宗教・歴史・身体を舞台として』(教文館)、『よくわかるキリスト教@インターネット』(共著、教文館)『キリスト教と現代―終末思想の歴史的展開』(共著、世界思想社)、『EU世界を読む』(共著、世界思想社)などがある。公開講演会ポスターより抜粋


一神教への批判として以下をご参照ください。
岸田秀先生からの回答
小滝透先生からの回答


以下、平成17年5月9日追加
キリスト教文化の「ルール変更による勝利」テクニックについては、「1喝たぬき」が、最近のF1(カーレース世界選手権)のホンダ車へのペナルティに対するコメントに同種の「ルール変更」について書いています。なお、「1喝たぬき」は、私がライブドアについて書いたものトラックバック(trackback)があり、存在を知りました。