靖国問題に、なぜ匿名で発言するのか(僧侶であるということ)

本日の総選挙党首討論でも靖国問題が争点になっていたが、靖国問題について、私は、6月19日にこのBlogに書込をした。いま、東京の真宗僧侶グループであるPOSTEIOS研究会のホームページを閲覧していたところ、たまたま同じ頃(6月16日)に、「首相の靖国参拝問題に速やかな対応を」という論説があった。群生海氏が書いたものである。「群生海」氏が、特定の一人なのか複数人のグループ名なのか知らない。私が、POSTEIOS研究会にうさんくささを感じるのは、重要なテーマについての意見が、ハンドルネームになっているからである。

浄土真宗の僧侶の意見が1つであるわけではない。POSTEIOS研究会の構成メンバーを見ると、宗門ではそれなりの有力者である。私は、日本の伝統教団で一番勢力が大きい浄土真宗本願寺派西本願寺)のそれも首都圏での有力僧侶の集団であるPOSTEIOS研究会が、重要テーマについて、匿名の論説を載せることに憤りを覚える。僧侶は、そもそも社会の世俗倫理から解放(追放)された存在ではないか。実名で意見を述べるべきである。

住職が、実名で自己の本心の意見を述べることの恐怖はいかばかりかは、私自身が自分が書いた文章を安芸教区教務所(広島別院)から、「差別文書である」と摘発され、それに対する反論からこの「安芸ねっと」というホームページを立ち上げた経緯から、良く知っている。社会から何を言われるか。住職を務める寺の門徒からどう思われるか。宗門の僧侶たちからどう言われるか。現在就いている宗門内外の役職を辞すべきか。これからの活動に支障があるのではないか。経済的にも自坊の護持に差し支えるのではないか。実名での発言では、このような恐怖と戦いながら発言するのである。

社会的にも重要な「靖国問題」で、僧侶は匿名で意見を述べるべきではない。POSTEIOS研究会は、浄土真宗僧侶の「社会的責任」にたいする自覚があるならば、実名で意見を公表してもらいたい。