インターネットの匿名習慣について

インターネットでは、一見匿名が原則のように見えますが、本当にそうでしょうか。

インターネットでの匿名についてのこれまでの議論をみても論じられていないようです。私も気が付きませんでした。

インターネットの原型であるARPANETでは、非常に限定されたメンバーでした。そこでニックネーム(ハンドルネーム)を名乗ることは、実質的には本名を名乗ることだったのではないでしょうか。そこにいろいろな人々が参入することによって、ニックネーム(ハンドルネーム)が匿名性を持つようになったのではないでしょうか。現在でも、特定テーマのBBS(掲示板)では、ニックネーム(ハンドルネーム)を使用しても中心的メンバー間では、誰であるか知っているのが普通です。そのようなBBSで発言するのは、よほどタフな人物でなければできません。私は何度も見ましたが、都合の悪い発言は削除されることが普通です。私は、そのようなBBSに、実名で書き込んだことがあります。当時、私は本願寺監正局の審事をしていましたが、私の書いた研修会の案内状が差別文書であるとして、浄土真宗本願寺派安芸教区広島別院から指摘されていました。あるBBSに実名で、私のホームページも示して書き込みました。早速、ニックネーム(ハンドルネーム)で私を引っ掛けるような書込がありました。差別問題に関連する質問については、実名でなければ議論しないと応じました。

発言は、実名でなければその内容に責任をとる主体がない。

現在、郵政民営化について私はいろいろ発言しています。地元で何人かの特定郵便局長を存じ上げています。寺の門徒(檀家のこと)にも郵便関係者がおられます。そこで、本名で発言するのと、匿名で発言するのとでは、全く私の受けるプレッシャーは異なります。本名で発言されている方は、自己の交友関係や地位を失うリスクを負いながら発言しなければならず、言いたくても言えない部分が随分あるのではないでしょうか。

インターネットでのニックネーム(ハンドルネーム)は、もともと本人を特定できたものでした。昨日今日の責任のない新参者が、本当に匿名である「ニックネーム(ハンドルネーム)」で発言するときは、偉そうな態度をとるべきではありません。所詮、便所の落書きと自覚するべきです。(自覚する能力も躾もない人々に言っても仕方ないことですが……)

インターネットの「匿名」性について