浄土真宗の他力思想とキリスト教の予定説

 他力思想と予定説とは、信仰する者にとって構造は同じだと思いますが、浄土真宗キリスト教は次の点で決定的に相違いたします。親鸞は悟りを求める仏教の一流であり加えて妻帯しています。キリスト教徒は神を措定し差別された自己のみが神に救済を予定されているとの確信を無理強いするために他者(近代以降の植民地時代は、黒人や黄色人)を救済が予定されていない存在とする脅迫にさらされています。キリスト教徒は、植民地時代に有色人種(現地人あるいは土人)を人間ではないと判定して殺戮し、神の救済を予定されていない範疇を作って、自己の救済予定を確信したのだと思います。絶対無限の神の前で人間はその違いが無限小になり、そこに平等観念が生まれたとキリスト教を美化する考えの限界がこれで明らかになります。と同時に、平等主義の限界をここに見ることができます。


浄土真宗の他力思想とキリスト教の予定説――岸田秀先生と再び