靖国問題

私は、国の元首や宰相が戦闘行為で亡くなった兵士の墓(霊)に礼拝(らいはい)するのは当然と考えます。(ただし、本願寺教団(西本願寺)内でも、厳しく反対する方々もいます。)戦争の是非云々にかかわらず戦場に送った国家が将兵に敬意を表するのは他国にとやかく言われる筋合いではないと思います。しかし、浄土真宗の僧侶として、靖国神社で礼拝するのは不自然な心情です。

神道キリスト教など他の宗派の儀礼で執り行われる葬儀に参列することがあります。他宗派の儀礼に参加する場合、私は、念珠を手に掛け、念仏を小声で称えて、執行されている儀礼と自分の信仰との折り合いをつけております。

私は、全宗派がその儀式で礼拝しうる追悼施設を設けるべきと思います。追悼される対象は、戦闘行為で死去した将兵に限定するか、ひろく戦争犠牲者を対象するのならば、原爆犠牲者や空襲犠牲者など民間人を含むべきでしょう。

私は、戦勝国が敗戦国の責任者を処刑することをやむを得ない考えますが、人類の正義をもって裁く形式の東京裁判を敗戦国に対する侮辱と考えています。戦争責任の中身が違ってきますが、日本人自身の手によって為政者の戦争責任を追求すべきであったと考えます。戦場で戦死した将兵東京裁判A級戦犯を一緒に礼拝するというのは理屈に合わないことです。東京裁判A級戦犯も追悼するのであれば、すべての戦争犠牲者を追悼すべきと考えます。

私は、他国からとやかく言われることに対する不愉快さと同時に、他宗派の施設に礼拝する不自然さを感じます(敬意を表するのにやぶさかではありません)。