大谷光真門主は、何をなさるべきか自問されることがあるのでしょうか

すこし仕事が立て込んでいて、Webに書き込むのを休んでいました。

本願寺派の宗会議員選挙は、今日(22日)に確定するようです。

浄土真宗は、徳川幕府の警戒心から、江戸(東京)から遠ざけられました。現在東京に真宗寺院が少ない歴史的背景です。権力的に寺院設立が抑制されていたために、一部の真宗寺院は、明治維新以降の東京の爆発的膨張下ですこぶる美味い汁が吸えました。東京のエスタブリッシュメント真宗寺院が、新規参入を拒否しているのは、美味い汁を手放したくないからです。既得権益は、どの分野でも隠微にかつ強固に維持されます。

かって過疎地域の真宗寺院を守れという声がありました。NHKが、広島県北の過疎地域の廃屋となった真宗寺院を特集した10数年前のことです。私は、狐や狸に法を説くのかと発言し、ひんしゅくを買っていました。教団の宗会でも、良心的正義派によって、過疎にやさしい言葉が発せられていました。例によって「言葉」だけです。武野総局で、武野以徳や武田昭英らが強力に都市開教(ここでは、東京開教です)を主張したのは、正しいことでしたが、東京の寺院は消極的なようです。現在の本願寺派総長の不二川公勝は、広島県といっても非常に過疎地の出身ですが、慎重な人物で、前総局(武野)のように戦闘的で分かりやすい行動はとりません。

昭和30年代に三井三池炭鉱労働争議が盛んだった頃、労働者の権利を守れとして発言した人々は何を要求したのでしょうか。九州の炭鉱地帯の労働者には、中国山地の「たたら(製鉄産業)」の労働者がいました。炭鉱地帯の労働者の墓に、中国山地の人々のものが散見されるようです。一つの産業が不用になれば、その労働者は不用になります。当たり前のことです。苦しいことでしょうが、別の仕事を探さなければなりません。石炭から石油にエネルギーが代わって、石炭労働者を守れというのはナンセンスです。経営者も不用になります。三井鉱業(株)も倒産させなければなりません。それらをスムーズに行わせるのが政治の役割です。

東京のPOSTEIOS研究会が、東京の既存真宗寺院の利権集団に見えるのは、私の誤解でしょうか。東京に真宗寺院はもっと必要です。過疎地域の真宗寺院出身者を受け入れるべきです。競争を回避してはならない。東京(江戸)に、400年前に進出したか、今進出するか、ただそれだけの違いです。既得権を守る隠れ蓑のつまらない人権主義的基幹運動は不用です。競争を恐れないことが、本当の差別のない社会です。新規参入者を差別しては、何をいっても偽善です。

宗会議員選挙が終了すると、総長選挙です。

私は、総長選出方法の変更を主張しています。「本人が立候補するか、20人の僧侶が本人の同意を得て推薦する。それを、宗会議員が選挙し、3人にしぼる。門主が、その3人の中から総長を任命する。(完全な象徴門主制が実現すると、門主が総長選出に関与することはなくなる。)」(「本願寺教団は何をすべきか」参照)

現在の玉手箱西本願寺派の宗会で総長を選出する時に門主が作成した2から3名のリストをいれた箱で、宗会はこのリストの中から総長を選出する)のやり方は、現代にふさわしくありません。同じ信条の人物のみでリストを作成したり、当て馬を入れたり、選挙を降りる人物と絡ませたりするリストは、実質的に門主の総長任命です。それを側近が門主に入れ知恵する。そして門主無答責。無謬性。戦前の天皇制や社会主義制度と全く同じです。大谷光真門主は、今何をなさるべきか真摯に自問していただきたい。

なお、門主無答責参照。

一人雇用運動