職業倫理 医者 大学教授 学問の権威 名誉

14日に、エイズについて書きました。

精神科医和田秀樹が、医師の適性について書いているものを読みました。(『受験教育は職業の適性を判断できるか』(和田秀樹「受験勉強は子どもを救う」1996、河出書房新社、58〜66頁))すこし古い出版ですが、内容的には今も真実ですし、他の分野にも真実でしょう。この部分はぜひ読んでいただきたい。

和田秀樹は、同書45頁で、野口悠紀雄の場合と異なり、自分の本が受験生以外に読まれることことがないことをぼやいています。読まれないのは、負け犬和田秀樹(同書62頁)と東大教授野口悠紀雄の差があらわれているのでしょうか。確かに、和田の容姿と甲高い声は、野口悠紀雄のそれと比べ、話した(書いた)内容の信憑性を毀損とまではいかなくてもかなり減殺するのでしょう。私は、両者の発言を少々読んでいますが、野口さんの土地インデックスの考えを非常に実現性を欠くアイディアと思い、和田さんのゆとり教育にたいする批判を正しいと思います。学術テーマと一般評論の比較でちょっとアンフェアですかね。それと、誤解のないように、私は野口さんを尊敬しています。

世間は、いつも述べられた内容で判断することはありません。肩書きの権威か、利害のどちらかです。だから、私はきれいな言葉に非常に反発します。そこにはいつも利害があるからです。

私は、業績には名誉を与えるべきだと思います。安部英さんにエイズ報告第1号の名誉が与えられていたら、彼は違った道を歩いたのではないでしょうか。

浄土真宗本願寺派の武野以徳総局以前の基幹運動は、生きた人間のいない世界だったのではないでしょうか。本願寺教団のそとの人々にリアリティを与えない空虚な言葉の消費だけがそこにはあったのです。

岸田秀一神教の研修会案内状を、基幹運動の闘士が、差別文書(誤解を与える)として摘発しました。似たような状況に、いま、インターネット掲示板で、mooなる人物が、岸田秀の博士号「詐称」について執拗に岸田批判を繰り返しています。moo氏は、キリスト教徒なのでしょうか。キリスト教を守るために、岸田一神教説が邪魔で、博士号「詐称」で岸田氏を傷つけ、岸田説を葬ろうとしているのでしょうか。それにしても、moo氏は本名を名乗って批判するエチケットをお持ちでないのでしょうか。私は、学位がそんなに重要なのか、moo氏の価値観が理解できません。

資格の要らない職業は、大学教授です。レベルの低い職業(こういう表現も差別なのでしょうか.ここでは、医師も弁護士もレベルの低い職業です)は、資格が必要ですが、大学教授は、資格で計られない最高の権威というのが大学制度の建前なのではないでしょうか。人を診療するのは医師資格が必要ですが、大学で医学を教えるのには医師資格は不要です。近代の大学制度を中心におく知の体系は、最高位にある大学教授の資格をあえて不要とすることによって、学問の権威を示しているのです。