浄土真宗は、商工業の宗教である

 このたび浄土真宗安芸教区広陵東組の8人の住職で行きました福井四箇本山参拝の後の吉崎旅行(平成16年(2004年)12月15日)は、蓮如の事業家振りを強く実感させてくれました。

 吉崎は、天然の良港のすぐそばの丘の上にありました。良港の条件は、荒波を消す地形、船の係留スペース、温泉と遊女です。金沢、吉崎、敦賀舞鶴、小規模であるが温泉津などです。大規模なところでは金沢、広島、大坂(大阪)などが、浄土真宗の都市です。吉崎、広島の沼隈(室町時代鎮西探題が置かれたこともある鞆の浦があるところです。)は、浄土真宗の地方小都市です。沼隈は、今は山の中のイメージが強いが、昔の海岸線は、ずいぶん現在の内陸まで入っていたようです。
海運の富を当てにした神社は、日御碕神社、大山祗神社(おおやまずみじんじゃ)などが代表です。
 大聖寺川の河口を福井県芦原(あわら)側と石川県塩屋側の両方を、吉崎御坊跡の吉崎の丘周辺から日本海沿岸を道が行き止まるところまでジャンボタクシーで2時間ばかり縦横に走りました。海運のもたらす富を当てにしてのロケーションがよく分かりました。
 蓮如の選んだ琵琶湖の堅田、大坂の石山本願寺すべて商業資本をにらんでのロケーションです。蓮如は、虎狼の住む人里離れた過疎の原野(御文章(蓮如上人作)の言葉ですが……)を選んだことは一度もありません。

 真宗が、日蓮宗と仲が悪いのは、信者がバッティングしているからです。浄土真宗門徒は農民ではありません。江戸幕府は、浄土真宗を畏怖して農村へ閉じ込めようとしたのではないかと思います。徳川幕府は、小心なぐらい大名のレイアルトに気をつかっています。経済基盤の提供とともに、東西両本願寺三重県の高田専修寺(せんじゅじ)の本山の分割とレイアウト、江戸の町からの真宗の排除等々宗教政策にも飴とむちの細心の政策をとっています。

 浄土真宗が、商工業を営む者の宗教であることを認識しなければ浄土真宗を知ることはできません。
(平成16年(2004年)12月17日)

参照してください:鉄と真宗