沖積平野の農地化と真宗寺院の増加

堺屋太一を久しぶりに読んだ。(堺屋太一「「わがまま」のすすめ」東京書籍、平成16年(2004年)12月18日)
一時期全部読んでいた時期があった。知価革命の頃から余り読まなくなった。

松谷明彦「「人口減少経済」の新しい公式」(日本経済新聞社2004)も、少子化を前向きにとらえているが、堺屋さんが、15世紀イタリヤの人口4割減少がルネサンス開花につながったとの指摘は、明るい気持ちになる。

堺屋さんは博識で、本論と直接関係ないところに私がはじめて知る知識があり、それが楽しみである。
沖積平野は川が氾濫して始末に終えない土地だった。それが一変するのは十五世紀末、中国から堤を築いて川道を固定する技術が入ってきてからです。こうなると沖積平野は沃野となって、農業生産が非常に高まる。同じころに鉱山開発、金属精錬の技術も入ってきて鉄や銅の生産量も増え、農機具も発達する。」(堺屋太一「「わがまま」のすすめ」165〜166頁)

浄土真宗寺院が増えるのが16世紀であり、私の「鉄と真宗」のテーマに通じ、安芸の真宗化の16世紀を思い興味深かった。広島では、広島市が河口にできたデルタ都市であると小学生のころから教えられる。


本日、午前6時5分に広島駅に集合して、広陵東組の住職8人で、福井の四箇本山と吉崎に行く。
網野善彦さんは、吉崎を時宗が栄えた吉ではないかと発言している。


参照してください:浄土真宗は、商工業の宗教