マルクスは、平等を主張したか

社会党は、一応「平等」をキャッチフレーズにしていました。旧社会党共産党も、マルクス主義をバックボーンにしていました。20世紀の社会主義は、マルクス主義を理論の基本的支柱にしていました。私も、マルクスは平等を主張していると当然のように考えていました。

しかしよく考えると(気が付いてみると良く考えなくても当たり前のことでしたが)、「労働者は資本家に搾取されている」という命題は、平等であらねばならないから資本家は労働者に生産物の価値を分与せよというのではありません。労働者に与えられるべき価値部分は、本来労働者が稼いだものだという論理の組み立てです。明らかに「平等」が根拠になっていません。私たちは、錯覚していたのです。

昨年、三田誠弘(みた・まさひろ、昭和23年生、早稲田大学第一文学部卒、昭和52年芥川賞受賞)が、「団塊老人」(新潮新書2004.7.20刊、¥680.)という本を上梓しました。次のように面白いことを書いていました。

「わたくしも全共闘世代の学生ですから、多少はマルクスの本なども読んでみました。マルクスはイギリスに留学していましたから、イギリスの豊かさを実感しています。イギ▲リスでは進歩的な地主が、自分の土地に工場を作ったのが、経済成長の出発点になったのですが、ドイツの資本家は保守的で、投資をする先見性はなく、自分の贅沢のために資産を消費している。これではドイツに未来はない。
 そこでマルクスが考えたのが、プロレタリアート独裁という、絵に書いたモチのようなアイデアです。金持ちから資産を略奪して貧民が政府をつくり、産業基盤の整備や向上建設に投資をする。革命によって無駄な消費をする資産家は抹殺されていますし、言論の自由の弾圧などで、国民を完全に制圧していますから、一般民衆の消費も抑えることができます。そういう独裁体制のもとで、国民が稼いだ資本の大半を、生産設備に投入することができる。」(三田誠弘「団塊老人」49、50ページ。▲改ページ)

マルクスがドイツナショナリストであることが分かれば、マルクスがうまく理解できます。「物の価値は人間の労働の投下量で決まる。」という労働価値学説は、非常に説得的です。これを否定する人は、現在いないでしょう。しかし、私たちが労働の質や量という測定というフェーズに移ると途端に困難に陥ります。マルクスは、時間という「ものさし」しか提示できませんでした。世界的に社会主義国家が崩壊した後、「マルクスは労働を時間という超抽象的な観念で説明した。完全に抽象的であるからすばらしい」と書いている文章をみて驚いたと同時に、政治的プロパガンダとしてのマルクス主義が不用になった後は、やはりこのような言説しか述べ得ないな、私のマルクス理解は正しかったなと青春時代を回想しました。

私は、中学高校時代からマルクスの著作を手にしていましたが、納得できませんでした。時間でのみしか労働を表現していなかったからです。労働の質には一切触れていなかったからです。エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」(大月書店のマルクスエンゲルス全集です。なつかしいですね)を読んだとき、私はマルクス主義の精神をここで理解できると思いました。理論ではなく博愛感情からです。

労働の価値を認識しようとすれば、途端に困難に陥るという感じは、建物を建築するようになり、さらに実感するようになりました。手抜き工事は論外ですが、技量の不足する職人がミスをしたとき(あるいは誤った指示をしたり、指示の理解力不足や誤解による誤理解の場合もあります)、その直しは、ミスした工事部分を取り壊し、改めて作り直します。つまり、「つくる」「こわす」「つくる」の工程が必要です。はじめの、「つくる」「こわす」の工程は全くムダです。最初の「つくる」工程に使われた労働は、労働時間は価値を生んだのでしょうか。賽の河原(西洋ではシジフォスの罰)も、有効需要ケインズ)であるとすれば価値を生んだといえますが、価値論で価値を生んだとするのには違和感があります。

マルクスは、自分の考えを科学的社会主義と自称していますが全く科学的ではありません。(科学そのものも、池田清彦は、先端科学はオカルトであるといっています。「科学的」という表現が昔ほど「真理」という言葉と同値とは考えにくくなっています。)冷静になって振り返ると、マルクス主義が政治思想として世界を席巻できたのは、それが科学的でなく宗教的であったことを物語っています。マルクスに「かぶれた」人は、宗教的体質があったのでしょう。

マルクス主義と平等について、寸感を書きました。   (平成17年4月3日)